仏蘭西紀行

23 終着地 ヴェニス

 それにしても、ローマと言う街は「喧噪」を絵に描いたような街だった。聞いた話によると、イタリアでは郵便事情も本当に悪いらしい。作家の村上春樹はイタリア滞在中に執筆した原稿を日本に送る為に、わざわざイタリア国外に出てから送ったらしい。出したはずの郵便物が相手に確実に届くとは限らないのだ。路線バスだって、平気な顔をしてバス停を飛ばすし、時には正規ルートを外れてショートカットしてしまったりすることすらあるらしい。多分この感覚は日本人には理解しがたいものであろう。しかし、そうかと思えば、フェラーリなどの名車を世に送り出している事もまた事実なのだ。どうなってんだ、この国は。

 ローマでの滞在を終え、今度はヴェニスに飛んだ。「水の都ヴェネチア」。全くの気分次第で行ったので、ホテルの予約もしていないが、どうにかなるだろう。なんならどこかの軒下にでも寝ればいい。

 ヴェニスについてボクが知っていることと言えば…名前だけだ。どんなところで、何があって等々、何も知らなかったがその名前に惹かれた。昔、中学生の頃だろうか、毎日のお弁当箱を包むナプキンが世界一周の双六になっていて、そこにヴェニスと言う名前が載っていて、確かそれで知った名前で、ずっと頭の片隅の方に残っていた。思えばそれがイタリアであることすら知らなかった。

 折角行くので少し調べてみた。

 アドリア海の女王、水の都ヴェネチア。117の運河と118の島。そこを渡る400の橋。「世界一美しい都」との表現はしかし、決して誇張では無い。何よりもこの静けさである。この街には自動車が走っていない。自動車どころか車輪のついた乗り物は一切無い。勿論自転車もだ。400の橋のそのほとんどが階段状になっている。そのため、車輪の付いた乗り物など通れないのだ。

 ボクはまず、マルコポーロ広場にタクシーで着いた。タクシーと言ったってモーターボートだ。このマルコポーロ広場がいわゆるヴェニスの中心なのだが、ここは満潮時にはかなり水が上がってくる。基本的に埋め立て地らしく、いまだに地盤沈下が進んでいるらしい。

 そこからブラブラ歩き出した。迷路だな、まるで。タダでさえ方向音痴のボクは、2−3度角を曲がると、もうどこから来たのかわからなくなる。がしかし、狭い街なので地図を頼りに、橋と通りの名前を見つけ、どうにかこうにかてくてくと歩く。宿を2−3軒あたり、どんな部屋でも良いからといって、やっと宿を見つけた。やっと見つけたそこはいわゆる屋根裏部屋のような所。部屋からの見晴らしはまぁまぁで、赤い煉瓦の屋根々々が見渡せる。ボクには何だかもってこいのオンボロ宿だった。

 それにしても静かな街だ。本当に贅沢な時間を過ごす。ヴェニスでは何事も急いではダメ。ゆっくりと、なるべくスローモーに事を進めるのが大切。

 そろそろ大学の授業も始まっている頃だ。そういえばフランス語の授業は出席日数がギリギリだったなぁ。まぁいいか。今度はいつ来られるかもわからないんだし。(その結果、ちゃんとフランス語の単位を落とし留年してしまったのだ…)

   ボクはヴェニスにいる間、適当な場所を見つけては、日がな一日本を読んで過ごした。いつもは敬遠してしまうトルストイやニーチェなどが、何故かスラスラと読めてしまう。不思議なものだ。もしまた来ることが有ったらたっぷりと本を持って来よう。そう思った。

 今回の旅では自転車を盗まれたりして痛かったけど、終わりよければ全て良し。最後の最後に訪れたヴェニスは本当に素晴らしかった。


 9月27日。体は無事帰国。自転車は行方不明のまま。日本を出たときに比べ、あまりにも荷物が少ないのが悲しい。

 これがボクの21歳の夏だった。(了)



並木の梢が深く息を吸って、
空は高く高く、それを見てゐた。
日の照る砂地に落ちてゐた硝子を
歩み来た旅人は周章てて見付けた。

山の端は、澄んで澄んで、
金魚や娘の口の中を清くする。
飛んでくるあの飛行機には、
昨日私が昆虫の涙を塗っておいた。

風はリボンを空に送り、
私は嘗て陥落した海のことを
その浪のことを語らうと思ふ。

騎兵連隊や上肢の運動や、
下級官吏の赤靴のことや、
山沿ひの道を乗り手もなく行く
自転車のことを語らうと思う。



 

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