仏蘭西紀行

22 ローマのニッポン人

 ローマではしかし、自転車を盗まれた悔しさを払拭することが出来ず、あまり楽しむことが出来ない。コロッセオやトレヴィの泉にしてもただただ大勢の人、人、人、…。街は喧噪。絶え間なく鳴り響く車のクラクション。なんて落ち着きの無いところだろう。コロッセオでは半日、本を読んで過ごす。

 トレヴィの泉では日本人が泉に背を向け肩越しにコインを投げ入れている。そうすると再びこの地を訪れることが出来るそうだ。しかし、そのコイン(硬貨)を地元の子供達であろうか、紐の先に磁石を巻き付け、泉の中のコインを拾っている。今ではどうだかわからないが当時のイタリアのコインは磁石にくっついたのだ。

 「ローマの休日」で有名なスペイン階段(ヘップバーンがアイスクリームを食べていた階段だ)では、町中の倍もする値段のアイスクリームを日本人だけが買い求めている。やれやれ。何だかローマは一日にして疲れてしまった。

  翌日、それでもブラブラと歩いていると、おじさんに声を掛けられた。片言の英語でどうにか会話を進める。何だかウマがあったのか、おじさんは一杯やりに行こうという。ん?もしかするとヤバイのでは?と思いながらも、まぁこれも旅の出会いかと思い、付いていくことにした。まずここで間違っていた。トレヴィの泉近くの路地を入っていく。「ナイトクラブブルームーン」考えてみればヤバイに決まってる。怪しい以外の何ものでも無い名前じゃないか。そこで帰ってしまえば良かったのだ。本当にそうするべきだった。でもボクは、ついついおじさんと一緒に入ってしまった。これも完全に間違い。

 メニューを見せられるがサッパリわからない。しかし、コーラがあったので、取りあえずそれにしておく。いくら何でもコーラならそれほど高くはつかないはずだ。せめてもの自己防衛。ボク達の両サイドにはキレイなお姉さん達が2−3人も来て飲み食いしている。ウーム、ますますヤバイ。

 そうこうしているうちにおじさんはさっさと支払いを済ませ、「じゃぁな」てな感じで先に帰ってしまった。少しホッとするが、まだわからない。ボクもすぐに帰ることにして、「帰る」と告げると、「少々お待ち下さい」なんて事を言われ、店員が伝票を持ってくる。何だ、おじさんはボクの分までは払ってくれなかったんだ。まぁいいかと伝票を見ると、ゼロがひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ…。なんと500,000リラ!!(当時のレートで5万円)絶対何かの間違いだ。だってボクはコーラを2本飲んだだけなんだ。コーラ2本で5万円だなんて、いくら何でもウソだ…!

 ボクはわざと50,000リラを財布から出して店員に渡した。これだって払いすぎているくらいだ。だって日本円にして5千円なのだ。コーラ2本で5千円だって頭に来る。しかし、店員はテーブルの上の伝票を手で叩き、「500,000リラだ!」とかなり荒い口調だ。「あっ、そうか、これはこれは…」ととぼけるが通じない。大体そんなお金は持っていない。「だけどそんなたくさんのお金は持っていないんだ」と言うと、「そうか」と言ってから「ちょっとこっちへ」ってな感じで呼ばれたのが運の尽き。事務所のような部屋で、見るからに怖そうなお兄さま方が「すぐ払え」(「ペイナウ!」今でも強烈に覚えている)と。これは、マジで、ヤバイ。どうしよう。

 もう、小便をちびりそうである。「カードは持ってないのか?」そうか、困ったときのカード頼み。カードを出したら彼らの顔は和らいだ。全く現金なモンだ。ボクは伝票を見つめていた。カードを良いことにデタラメな金額を切られたらたまったモンじゃない。タダでさえデタラメな金額なのだから。カードの控えには確かに50万リラと記されていた。あ〜参った。と今となっては軽く笑えるが、本当に怖かったのだ。

 後日、帰国してからこのとき使ったカードの請求書がまわって来た。「ナイトクラブ ブルームーン」(しかし、本当にアヤしい名前だ)。母は、父がどこかで呑んでカードで払ったと思ったらしい。何しろカードは父名義の家族カードだったので、請求書は勿論父宛に来る。可哀想に父は母から無実の罪を随分と責められたらしい…。

 そんなこともあって、ローマでの滞在は非常につまらないものとなってしまった。街を歩いても人と車であふれかえっている。やれやれ。


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