回転木馬の独り言

Vol.174 2024年4月21日号

「家庭裁判所のお仕事」

毎月一度、家庭裁判所に行っている。
ウチの家庭に問題が有るワケじゃなくて、
(多分無いハズ、だと思ってるけど・・・)
一応お仕事で、
「自転車盗等の被害を考える講習」と言う講習。
自転車窃盗で補導され家裁送致になった少年たちと
その保護者に小一時間ほどお話をする、
所謂「講話」ってヤツです。

もう随分と長くやっていて
気が付けばなんと十年目!
十年!って一時代ですよ。

最初、家庭裁判所から電話が有った時には
本当にビックリしたモンだ。
そりゃそうでしょう、どうします?
急に裁判所から電話が掛かってきたら?
真面目に生きてきたのに・・・・ってな無念感が湧いて来ません?
それが、まさかまさか仕事の依頼だなんて露程にも思わず、
だからと言って心当たりも無い。多分、無かったと思う。

一度話だけでも聞いて欲しいと言われ、承諾したら、
後日、何と3名もの方々が来店され、
かくかくしかじかまるまるうまうまと話されて、
なんとなく面白そうってコトでOKしたら、
横からカミさんがピシャっと「後日お返事差し上げます!」。

まぁね、その間店を空けることになるのでねぇ。
今なんて店を空けるどころか
そもそも店すら開けてない事が多いのだけど、
その頃はちゃんと毎日営業していたし、
基本的に営業中はずっと店にいたからなぁ。
自慢じゃなけど。

でも何やかんやでやっぱり引き受けた。
引き受けたは良いのだけど何を話す?

その1−2年ほど前のこと、
中学時代の恩師から職業講話で喋ってくれへんか?
と、出来の悪かった教え子に連絡が有った。
中学校の授業の一環で
いろんな職業の人の話を聞くってのが有るらしく、
そこで30−40分ほど話をせよと。
出来の悪かったヤツの話の方が中学生には入りやすいのか?
とか思いつつ当日。
実は何の準備もせず、当日思いついた事で適当に喋れると思っていた。
しかし世の中そんなに甘く無い。
余りのしどろもどろさに中学生たちが引いてるのがワカル。
そう思うと更に何を喋ってイイやらミカンやら。

そんな経験が有ったので、かなりの下準備が必要。
わかっちゃいるけど、仕事も有ってしっかり考える時間が無い。
そんなこんなしてるうちに何故か(?)本番の日は近付いてくる。
そして気付けばもう明後日!
とうとう、逃げるように何故か真夜中のマクドナルドに
試験前の高校生よろしくノートとペンを抱えて入り、
一先ず思いついたことをひたすら書きなぐる。
そうしているときっと何らかの繋がりと言うか
ストーリーが浮かび上がるのでは?作戦。

聞いてくれる相手は毎回違うので、
毎回全く同じ話でもエエのだけど、
自分のモチベーションが下がるのが怖くて
そして前に中学生たちにドン引きされた経験も尾を引き、
全く違う話には出来ないけれど、それでも毎回原稿には手を付けて
より彼ら彼女らに響くには?と、本当に今でも毎月まぁまぁ大変。

そんなこんながもう十年。
ボチボチ他の人にお願いしようかと・・・
と裁判所から言われるのを期待しつつまた春が来た。
そろそろこちらから切り出そうかなぁ。


Vol.172 2024年2月25日号

「息子の自転車歴」

息子がこの春から大学生になる。

思えば小さなころからずっと自転車で連れまわしていた。
いつもMTB朝ライドで行っている山城の林道デビューは
まだ12インチホイールの頃。

その12インチに乗り始めたのが2歳くらい。
一年ちょっとすると補助輪無しで乗れるように。
補助輪無しで乗れるようになったのが嬉しかったのか、
調子に乗ってジグザグ走行をしていてハンドルを切り過ぎ、
顔面から地面に突っ込み顎をザックリ切って大泣き。

息子は決して運動神経が良い方では無く、
保育所でもどちらかというと「どんくさい系」だったようだけど、
ある日、補助輪無しの自転車を乗り回しているのを
たまたま保育所の先生が見かけて、随分と驚いていた。
それが3歳の終わりくらいか4歳くらいのこと。

春から小学校に入るという正月には
20インチのMTBを買ってやった。
自転車親父は完成車の状態で満足するはずは無く、
ナット式だったハブをクイックタイプに組み換え、
ブレーキもMTB好きから見たらキッズバイクにコレ?
ってなエエモンを奢った。
このバイクでは富士見DHデビューもしたし、
シマノバイカーズフェスではXCレースにも出るようになった。
しまなみ海道や「ツール・ド・おきなわ」等
ツーリングにも沢山行った。
関西で盛んなシクロクロスレースを始めたのもこのバイク。
デビューレースでいきなり優勝してしまい味を占めてしまった。

小3の春。
ロードと兼用で24インチのシクロクロス車を組んだ。
親父はせこいので別々のバイクを買い与えることはしない。
このバイクではシクロクロスは勿論の事、
本格的なロングライドにもデビュー。
小4の秋には「ツール・ド・のと400」を完走し、
翌春には「佐渡ロングライド」の210qを楽しく走り切り、
その秋には、初の本格ロードレース、
「四日市ジュニアローロレース」に出るも惨敗。
また「ツール・ド・おきなわ」のサイクリング部門で
最も走り応えのある、やんばるセンチュリーライドに
誰だったかの代役で出走。
流石にきつかったようで、途中の休憩で座り込んで
「もう走らん!」とテコでも動かない様子だったのが、
まだ後ろにウチのメンバーがいることを知ったとたん
すくっと立ち上がり再び走り始め何とか完走。
その翌日にはレース部門の小学生クラスにも出走したが
こちらはサッパリな結果だった。

小6になると流石に20インチMTBも24インチシクロも小さくなり、
MTBはウチで試乗車に使っていたコメンサルのスーパー4を、
ロードはFELTのアルミのシクロ車と、もうすっかり大人サイズ。
中学に入るとこれまたグングンと大きくなり、
MTBはカミさんが昔乗っていたコメンサルのハードテイルに、
そしてついに親父が乗っていたコメンサルに。
(今ではどれがヤツのバイクなのだか良くわからない)
ロードはFELTの同車種の大きいサイズになり、
それはそれで本来のシクロ車として使いつつ、
カミさんが乗っていたケルビムに乗り始める。
この頃になると部活なども有って、
余り連れまわせなくなって来た。

高校になると自転車競技部に入り本格的に競技を始め、
ロードは随分前に常連のお客さんから頂いていた
リドレー・ダモクレスを二年とちょっと乗り倒し、
高校最後のインターハイ予選に惜敗したのを機に、
きっと大学でも続けるだろうからと漸く新車を投入。
それがアンカーのRP9。
やはり最新のバイクは速くて、その後に出場した
ツアー・オブ・九州では第2ステージで優勝、
総合ではポイント賞を獲得。
トラックレースではずっと学校のLOOKを借りて走り、
最後のインターハイでは団体3位、個人2位。
秋の国体ではロードで10位と
なかなかの成績を収めることが出来た。

大学では自分のトラックバイクも必要になるようで、
とうとうアンカーのTE9を買った。
軽自動車なら新車が買えるんじゃない?ってくらいする。
きっと親父として息子に買ってやる最後のバイク。

こうやって振り返ってみると
随分と色んなバイクを乗り継いできたものだと思う。

この春からは鹿児島で一人暮らし。
その後はどうなるのか全く予想も出来ないけど、
次のバイクからは自分で稼いで色々と乗り継いでいって欲しい。
そして親父を自転車で連れまわしてくれ。
(付いて行かれへんやろうケド・・・)

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