仮面ライダーアギトの時間


 皆さんこんにちは。仮面ライダーアギトの時間です。約1年のご無沙汰ですがお元気でしょうか。

 昨年1月から始まった仮面ライダーアギトも、無事1年間の放映を終え、仮面ライダー龍騎へとバトンタッチしましたが、ここでアギトの1年間をざっと振り返ってみましょう。 そもそも「アギト」とは何だったのでしょう。それは人間の中に秘められた可能性を、ひとつの具体的な形で表現したものであったと思われます。

 仮面ライダークウガで「ヒーローは死んだ」と言う説を唱えました。そのときに「ヒーローとは決して特別な存在ではなく、結構隣のお兄さんだったり、或いは自分であったりするというメッセージ」が込められているとも記しましたが、まさにそのメッセージをさらに拡大し、「人間に秘められた可能性」というものに置換し、ひとつの具体的な形で表現したのがアギトだったのです。

 それ故にシリーズ中最も多くの仮面ライダーが登場しました。アギトを筆頭にギルス、アナザーアギト(彼らがいわゆる変身系のライダー)、G3−X、G4(劇場版のみの登場)、G3マイルド(特番のみの登場)となんと6人もの仮面ライダーが登場しました。 前3者(変身系)が人間に秘められた可能性の発現者であったのに対し、後者は人間の可能性を模索する者たちであったとも言えるでしょう。それ故の対立もありました。言い換えるならば、ガンダムに於けるニュータイプとオールドタイプ、そう考えてもらうと解りやすいかも知れません。

 そんな人間の新たな可能性をどう受け止めて行くのか。そんな葛藤が丁寧に描かれていて、クウガとはひと味違った(或いはさらに発展させた)仮面ライダーワールドが見事に展開され、最後の最後まで飽きることなく楽しめたのは、もう皆さんご存じの通りです。 主人公アギトである青年、津上 翔一は自分がアギトであることを割合すんなりと受け止めて(たまには悩んでいましたが)、日々アンノウン(要するに怪人たちです)と戦っていましたが、ギルスである青年、芦原 涼は違いました。

 何故自分がそうなってしまったのか悩みます。また、ギルスに変身するようになったが故に、周りの人々が自分から遠ざかり、孤立してしまい、ことあるごとにに打ちのめされて行きます(アンノウンと戦って敗れると言うことでは無く、周りの人々に裏切られる事によって精神的に)。しかし、そのたびに少しずつ、少しずつ成長していきます。そんな彼の成長記としてとらえることも可能でしょう。そのようにとらえるならば、村上 春樹の「ねじまき鳥クロニクル」に通底するものさえ感じさせます。疎外され、孤立していくことによるデタッチメント(離脱)から、自分自身を確立していき、やがてコミットメント(関与)へと。サルトル的に表現するなら、「単なる歴史=社会へのアンガージュマンではなく、それらを含む人間性へのアプローチ」とでも言えるでしょうか。

 そんなメッセージを我々に投げかけた「仮面ライダーアギト」。次の「仮面ライダー龍騎」では我々にどのようなメッセージを投げかけてくるのでしょうか。これからの一年もまた目が離せません。皆さんもしっかりとご覧下さい。

 それではこの次にお会いする日まで、皆さんごきげんよう。


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