仏蘭西紀行

13 マルセイユで起こったコト

 8時過ぎに起きて、少々ゆっくりして10時の出発。まぁボクにしてみれば良いペースだ。

 昨日はあれほど手間取ったアヴィニョンからの脱出だったが、今日は結構すんなりと離れることが出来た。そこからずっとN.7を来たのは良いのだが、途中N.113に乗り換えなければいけなかったのを忘れてしまい、ホントにひたすらN.7を走ってしまった。おかげで100km程で済むはずだったこの日の走行は、120kmにまで増えてしまい、前半だけでも86kmの走行となってしまった。そして辿り着いたのがエイック(Aix)。ここでやっと昼食。そしてこの街から抜け出るのにまたまた一苦労。本当に街に入ると出るのが大変。

   景色はかなり良く、ドバァ〜と広がる畑、畑、畑。そしてその向こうに見える山々。交通量は少なく、十字路は信号ではなく、ほとんどがロータリー。こいつは巧いと感心することしきり。しかし、ひとつだけ感心できないことが。それは恐怖の3車線とも言える(少なくともボクにとっては)、上下車線併せての3車線。というのも上下線のどちらかが2車線で残りの片車線が1車線なのではなく、基本的に上下とも1車線なのだ。その真ん中にもう1車線。この真ん中の1車線とは何か?それは上下線共有の追い越し車線なのだ。どういう意味かお解りいただけるだろうか。つまり真ん中の車線では一歩間違えれば正面衝突になるのだ。その可能性はかなり高いと思われるのだが。恐ろしい。我々日本人の目から見ればとても信じられない、アンビリーバブルラインである。

 エイックでは4時近くまで休む。マルセイユまではあと30kmほど。

 5時過ぎマルセイユに到着。マルセイユに入ってすぐに休憩。道端で休んでいると子供たちが寄ってきて、つたない(ボクよりもつたない)英語で話しかけてきた。と言っても英語を話せるのはそのうちの一人だけだった。「どこ製の自転車?」と尋ねてきたので、日本製だと答えると、目を丸くして、ほじくるようにして見ていた。そしてまた、「テントで寝ているの?」と尋ねてきたのだが、彼、間違って「Are you speaking tent?」と言ってきた。勿論「speaking」ではなく「sleeping」が正しい。これにはさすがに大笑い。しかし、こんな小さな(小学校高学年くらいか)子供たちが、それなりの英語で全くの外国人(この場合はボクだ)に話し掛けてくるってのはすごいなぁと思った。これもお国の異なり故なのだろうか。

 本当はマルセイユを少し外れたところまで行ってから泊まりたかったのだが、マルセイユからD.559(県道559号線ってとこかな)に抜ける道がわからず、マルセイユに泊まることになる。インフォメーションでホテルの予約を取ろうと思ったのだが、言葉が通じず退散。仕方がないのでマルセイユ駅の待合室に泊まることにした。フランスまで来て駅寝するとは思いもしなかった。

 待合室には浮浪者のような人から、バックパッカーまでかなりの人が夜を過ごそうとしているのか、集まっていた。待合室は暖かくて良い。夜になるとさすがに外は少々寒い。待合室に入ったのは7時過ぎ。いくら何でも寝るには早い。ゴミ箱から新聞を拾い、見出しの読めるところだけでも読んだりしようとしたが、皆目わからない。やれやれ。飯でも炊こうとマルチフューエルのピーク1を取り出したが、火がつかない。2〜3日前から調子が悪かったのは確か。いくらマルチフューエルとはいえ、ずっと赤ガス(いわゆる普通のガソリン。本来ピーク1に使用するのは白ガスといって、かなり純度の高いもの)ばかり使っていたので目詰まりをおこしたらしい。でも、ここは駅。キオスクがある。そこでサンドイッチ等を買って夕食。浮浪者のようなおじさんと酒を呑んだり、バックパッカーと話をしたり、はたまた新聞紙で甲や鶴を折って子供にやったり。そうこうしているウチに寝るのに良い時間。シュラフに潜って、お休みなさい、朝までグー。のつもりがそうもいかない。

 夜中、待合室の清掃をするらしく、警察だか警備だかのオッサンに足蹴にされて起こされる。全員外に出さされる。寒い!シュラフにすっぽりくるまっても寒い。ウトウトはするものの、寒くてすぐ目が覚める。それを繰り返すこと2〜3時間。またも足蹴にされて起こされる。待合室が開いたから入っていいゾと。やはり中は暖かい。で、今度こそ朝までグー。

 翌朝は7時前の起床。駅寝はあまり遅くまで寝られないのがネック。とりあえず、自転車を停めておいた所へ行く。ところが、停めておいた筈の愛車がない。どういうこっちゃ!少し考えてから、そのじょーきょーが理解できた。

自転車が盗まれた!!



マルセイユの凱旋門

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