回転木馬の独り言

2003年2月

 ボクがスポーツバイクに乗り始めたのは、なんともう20数年前!ゲッ!既に語れる20数年前が有るようになったのが怖い・・・・。まぁ、それはさておき、とにかく、随分長い。そして、スポーツバイクに限らずに言うと、更に10年は遡る。今回はそんな謎のベールに包まれ、今まで語られることの無かった(普通、誰もそんなことは語らない)、ボクの愛した自転車達についての話しである。

 皆さんは覚えておいでだろうか、初めて乗った自転車のことを。ボクが小さかった頃(あくまで年齢的にであって身長的にでは無い)は、自転車その物が、今よりずっと高価だったように記憶している。だから、自転車が1台もない家庭も珍しくは無かった。ご多分に漏れず、我が家にも無かった。

 確か、幼稚園の頃のこと。初めての自転車を買ってもらった。我が家にとっても、初の自転車だった。どういういきさつで買って貰えたのかは忘れてしまったが、随分と大切にしたことだけは覚えている。ある日、雨で濡れてしまった自転車を玄関に入れて一生懸命磨いていたときのこと。外は結構な雨だった。突然、もの凄い音と共に近所に雷が落ちた。タダでさえ雷が怖かったボクは、ビックリして靴を履いたまま泣きながら家の中に駆け込んだ。そのことだけは今でも妙にリアルに覚えている。なかなかカワイイ奴だったのだ。

 その自転車は多分20インチくらいだったと思う。いや、もっと小さかったかな?まだ、ワイヤーブレーキでは無かった。サドルは一枚革。勿論補助輪付き。カワムラサイクル製だった。1年も経たずに補助輪も外れ、小学校に入っても当分は乗っていた。しかし、ボクは年齢のわりには大きかった。よほど脳味噌が軽かったのか、「ジャックと豆の木」の豆の木のようにスルスルと背が伸びた。因みに余談だけど、背の順で並ぶと、幼稚園の1年目を除いてずっと一番後ろだった。今思うと、その1年だけが屈辱だ。

 話しが飛び過ぎちゃった。元に戻そう。そう、デカかったのだ。つまり、その自転車は相対的に小さくなったのだ。でも、ボクは随分と大切にしていたし、とても気に入っていた。それがある日、ボクの了承も得ずに(と今でもボクは思っているが、本当のところは良く覚えていない)従兄からのお古に替わってしまった。これはかなりショックだった。そのせいか、その自転車はあまり大切にしなかった。それにはいつまで乗っていたのか、全く覚えていない。そのころには我が家にも他に自転車があった。父が中古車を買ってきたのだ。父が自転車に乗って帰ってくると言うので、途中まで迎えに行った。まだ、それくらいに大したモノだったのだ、自転車は。

 次に乗ったのは、所謂ジュニアスポーツと呼ばれた、セミドロップハンドルの自転車だった。多分、従兄から貰った自転車もすぐに小さくなったのだろう。父が中古車を買ってくれたのだ。確か1万円位したと思う(中古車だってそれくらいはしたのだ)。これには変速装置が付いていた。これを使えば、軽くなったり、重くなったりするのだと言う。ボクはバカだったのでどういう意味かサッパリわからず、変速させては持ち上げてみたりした。でも、軽くも重くもなっていない。?????なのだ。

 この自転車も、ボク的にはかなり大切にした。そう、大切にしたんだ。だけど、親にはわかって貰えず、「物を大事にしない」という烙印を押されてしまった。何故か?大切にするあまり、しょっちゅうバラして調整(のようなこと)をしていたのだけど、そう、お察しの通り、だんだんとそれがエスカレートしていき、ついには元に戻せなくなってしまったのだ。それまでだって、よく部品が余ったのだけど、もうそれどころではない。どれがどこの部品なのかサッパリお手上げ状態にまでなってしまったのだ。だから、大切にしなかったわけではないのだ。結果としては同じだったにしても。

 そんなわけで、小学校までで、3台の自転車を乗り継いだ事になる。3台目がかろうじてスポーツバイクと言えば言えなくもないが、ボクとしては意識していたわけでは全くなかった。そう、ここまでは単なる自転車だったのだ。

 と言うわけで、思った以上に長くなりそうなので、以下来月に続くということで・・ ・

ではまた。


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