回転木馬の独り言

2003年3月

 1万円位で買ってもらったジュニアスポーツが乗れなくなり、「物を大事にしない」と言う烙印を押されたボクは当然、次なる自転車は当分買って貰えなかった。それから2−3年、ボクは自分専用の自転車が無かった。勿論、自分用の自転車は欲しかった。そんな思いが凄く凄く高まっている頃−確か中学2年の終わり頃だったと思う−、当時よく読んでいた漫画雑誌の裏表紙に自転車の広告が出ていた。ボクの運命を決定づけた自転車だった。ブリヂストン・ロードマン。ボクくらいの世代の人達なら大抵は知っていると思う。それくらいに大ブレイクした。その広告は所謂イメージ広告で「ロードマンを買ってから、ボクは早起きになった」とかのキャッチコピーと共に(実際には全然早起きにはなれなかったけど)、イメージを掻き立てるようなちょっとした文章が添えられていた。

 大体ボクは、今でもそうなんだけど、この手の広告にコロっとやられてしまう。でも「物を大事にしない」と言う烙印を押されている気弱なボクは、親に「これ買って欲しい」なんて口が裂けても言えなかった。そこでその広告が出るたびに切り抜き、机やその周りにベタベタと貼りまくる作戦に出た。その作戦は当たった。中学3年の夏休み前、「今度のテストで成績が上がれば買ってやっても良い」と父から言われた。俄然やる気が湧いてきて、それはそれは頑張った。その結果、今までで一番(そしてそれは中学校時代で一番)の成績が取れたのだ!そして、めでたく念願のロードマンを買ってもらった。

 その当時、ボクの一番の宝物になった。暇さえ有れば乗り回し、帰ってきたらすぐに磨いていた。前回の反省を踏まえ、あまりバラしたりはしなかった。(ボクだって多少は学習するのだ)

 そのロードマンには、踏み面が自動的に上を向いてくれるペダルが付いてたのだけど、ある日これが上を向いてくれなくなった。買ったお店に何度か持っていったのだが、うまく直して貰えず、業を煮やしたボクは、近所にあった別のお店に持っていった。そこでは簡単に、そして見事に直してくれた。ボクはいっぺんにそのお店が気に入り、それからもちょくちょく用事を作っては行き、そのうち用事が無くても行くようになっていった。

 そんなある日、店の中で、たまたま近くに置いてあったカタログを眺めていた。お店の兄ちゃんに「そんなもん見てたら欲しなるで」と言われつつも、「大丈夫や、欲しなったかて、どうせ買われへんから」とせっかくの忠告にも耳を貸さなかった。その時である、まさに運命の出会い!「究極のツーリングペダル!」と謳われたペダル−シマノ・デオーレ DDペダル(因みに今のデオーレとは全く違うものである)−がボクの目に飛び込んできた。なんてたって「究極」!なのだ。しかし、そんなのきっと高いのだろうなと思いつつ、お店の兄ちゃんに聞いてみたところ、なんと2700円。買える、これならボクのお小遣いでもどうにか買える値段だ!(このときのボクはまだ、このペダルがその後のボクの人生を決定づけるものになろうとは、知る由もなかった!−ババァーン!てなBGMを頭の中で鳴らしながら読んで貰いたい−)

 勿論、早速注文をした。何日かして入荷した。だが、ボクのロードマンには取り付けられないことが判明!シマノお得意のオリジナル規格のサイズだったのだ。しかし、どーしてもそのペダルをつけたかった。しつこいようだが、なんてたって「究極」!なのだ。それに実物を見てしまった今となっては、もう頭の中はこのペダルをつけて世界を駆けめぐる妄想で一杯。誰にも止めることは出来ない。

 で、このペダルをつけるためには、どうやらクランクを交換せねばならないらしい。折角クランクを交換するのなら、フロントをトリプル化したかった。ボクのロードマンはフロントがダブルだった。それで、特に不便も感じていなかったのだけど、単純にトリプルは格好良かったし、それに、トリプルならどんな急坂でも登ることが出来ると思っていた。バカだったのだ。(厳密には過去形では無く、現在進行形なのだが)

 そうなると、前後のディレイラー、BB、シフトレバーまで交換しなければならない。確か、全部で2万円くらい。そんなお金が有るわきゃないのだが、もうすぐやってくる正月のお年玉を当て込んで全て交換することに。クランク長さとかギアレシオとかの本来気にするべき事は全く気にせず、確かフロントはキリが良いからなんて理由で50T×40T×30Tだったと思う。今考えると無茶苦茶いい加減なレシオだ。

 全て交換し終わったロードマンは、ボクにとってはもうこれ以上は無いと言うくらいのスーパーマシンとなった。しかし、上を見るとキリがないほど上があるのだな、これが。そのことに気が付くまで、それほど長い時間はかからなかった。と言うわけで、まだまだ続く(かも)。 

ではまた。


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