回転木馬の独り言

2003年5月

( 4月は、忙しくて連載をお休みしましたm(__)m  )

 そのロードマンでは初めて長距離ツーリングもしたし、輪行もした。長距離ツーリングったって、今なら一日で終わってしまう琵琶湖一周を、3泊くらいしながら。でも、本当に初めての一人旅だった。面白かったぁ。多分、これがツーリングに目覚めた最初だったんだろうな。

 ツーリングをし始めると、世の中にはツーリング車と言うモノがあることを知った。たまたま古書店で「サイクルスポーツ」と言う雑誌を見付けた。こんな雑誌が世の中には有るんだなぁと妙に感心したりした。当時の「サイスポ」はかなりツーリング系の内容だった。だから、広告もツーリング車が多かった(ように思う)。そのどれもが、ツーリング専用設計で(ってツーリング車なわけだから当然なんだけど)、世界を駆けめぐるような写真が添えてあったりした。それらの広告の前では流石のスーパーロードマンもかすんで見えた。

 大学も決まった頃のある日、いつも行っていた自転車屋さんにミヤタの「ル・マンツーリスム」というツーリング車が置いてあった。

 当時は各メーカーともスポーツ車専用のブランドを持っていた。ミヤタはこの「ル・マン」シリーズ。ナショナル(当時はまだパナソニックでなかった)は「ラ・スコルサ」(若しくは「ラスコルサ」だったかも)、ブリヂストンは「ユーラシア」、丸石は「エンペラー」ってな具合だ。で、大抵その中にロード、スポルティフ、ランドナーくらいは揃えていたのだ。おっと、またまた知識をひけらかしてしまった。本題に戻ろう。

 この「ル・マン」は確か、キャンセル品か何かだったように記憶している。欲しかったら、安くしてくれると言うので、一も二も無く飛びつき、そいつに、今までロードマンにつけていた「究極のツーリングペダル」等を全て移植した。かくして、ボクのスーパーツーリングマシンが完成した。

 ただ、ちょっとした(今考えると非常に根本的な)問題があった。フレームサイズだ。550mmだった。どう考えても小さかった。しかし、それが最も大きなサイズだったのだから仕方がない。ロードマンの時は一番大きなサイズで585mmだった。たった3cmちょいの違いだ。大体フレームサイズなんて何だって良かったのだ。スーパーツーリングマシンであることが当時のボクにとっては最も大切なことだった。

 大学では、今までやってきたサッカーを諦め(強すぎて、フツーレベルじゃ入れてくれないのだ)、自転車部に入った。これまた、今考えると運命だったのかなぁとも思える。ボクは、自転車の知識に関してはそこそこ自信があったのだけど、やはり先輩達は凄かった!雑誌でしか見たことがないようなフレームやパーツを実際に使っていた。

 ある先輩は「フレームサイズを稼ぐための苦肉の策か?」とボクのペダルを見て言った。ボクのつけていた「究極のツーリングペダル」はダイレクトドライブシステムといって、通常よりもペダルシャフトが太く、踏面がシャフト中心部に有るため、よりダイレクトなペダリングが可能と言うモノだったのだが、副次的な効果として、踏面が通常より若干低くなるので、その分フレームサイズを稼ぐことが出来たのだ。ボクはそんなことまでは毛頭考えていなかったのだけど、「究極のツーリングペダル」に惹かれたというのは恥ずかしかったので「そうなんです」と答えたのを今でも覚えている。(おちゃめな奴だったのだ)

 そんな、今考えると滅茶苦茶なサイズの自転車で初めての夏合宿。生活道具一式を積んで、東北を駆けずり回ったのだ。勿論、スゴーイ登りだって有る。で、当然の如く膝を痛めることに。だって、どう考えたって190cmのボクにはフレームサイズ550mmなんて小さすぎるのだ。もう忘れてしまったけど、きっとクランクだって短かったのだろう。トリプルギアにはこだわったが、クランク長になんて全くこだわらなかったから、おそらく165mmだったのでは無かろうか。今、MTBで使っているクランクは180mmだ。当然、前(ハンドルまでの距離)も短かったに違いない。っていうか、サイズというモノについて何も解っていなかったのだ。解ってなかったので、長い、短いも解りゃしない。

 そんな苦い経験を経て得られた答えは、春合宿までにはフレームをオーダーするしかない!冬休みを利用してアルバイトで資金を作る。そして、サイズについてもいろいろと調べて勉強する。とは言え、今と違ってインターネットもないし、教科書もない。様々なメーカーのカタログから数字を拾い出したりして、ホントよく勉強した。学校の勉強もこれくらい頑張れれば良いのになぁと自分自身で思ったりもしたほどだ。

ではまた。


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