祝!?十年

今日は午後から月一の家庭裁判所業務の日。
自転車窃盗で補導され家裁送致になった少年少女を対象としたいわゆる更生プログラムの一環として自転車の専門家という立場から小一時間ほど話しをするのだ。
2014年の10月に初めて話しをした。

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当時は何を話したらエエのかさっぱりわからず、調査官(という職種が有る事すら知らなかった・・・)とやり取りをしながら話すスタイルだった。

この講習は未成年者が対象なので必ず保護者も一緒に参加しなければならなくて、講習後は毎回、講習の感想文みたいなものを書いてもらって、それを控室で調査官と一緒に読み、どれくらい講習内容が届いているかを確かめる。

記録を見ると4回目からはもう調査官とのやり取り形式では無く、一人で喋っていたようだ。無駄話は得意だけど、ちゃんとした内容で1時間も人前で喋るのってホントに大変。

だから毎回しっかりと台本を作る。感想文を一種のフィードバックと捉えて毎回台本に手を入れる。それを毎月繰り返して十年。それだけ経てば話の内容も随分と変わっているんだろうなぁと思って古い台本を見返してみると、確かに今では話していない事とかも有るにはあるけど、大筋は全く変わっていない。

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ただ、最初の方では少年少女たちにだけ語り掛けていたのが、ある時から意を決して(と言うほどの事も無いのだけど)保護者にも語り掛けるようになった。

ボクが子どもだった頃と比べると自転車は随分と安くなった。中古車でも1万円くらいはした覚えが有る。そう、いわゆる耐久消費財だったと思う。それが多分80年代後半くらいからな、ホームセンター等で扱われるようになり、ドンドンと価格は下がり単なる消費財、使い捨てみたいになってしまい、伴って「自転車くらい」となてしまっているのは否めなく、それが自転車窃盗にも繋がり、また保護者の意識も「自転車を盗ったくらいで・・・」という事になってしまっているのは理解できる。

けれど、やっぱりそうじゃない。ってか、ちょっと考えれば至極当然の帰結なんだけど、今やそれを言葉にして伝えないといけない時代になってしまっているのかも。勿論全ての人がってハナシでは無いけど、それにしても看過できないくらいの数にはなっている気がする。

ボクが喋ったところで何が変わるのかわからないけど、ほんの少しでも引っ掛かるようにボクなりには言葉を選び、表現を変えつつの十年。チィとは自分で自分を褒めてやってもエエと思う。オレ、頑張ってるやん!と。

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